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大阪高等裁判所 昭和29年(ネ)29号 判決

控訴人 野光孚

被控訴人 ナニワ物産株式会社

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

被控訴人は控訴人に対し原判決添付物件目録記載の建物につき所有権移転登記手続をなすべし。

本訴並びに反訴の訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨及び予備的反訴請求として被控訴人は控訴人に対し金八〇万円及びこれに対する昭和二四年二月一二日から支払済まで年一割の割合による金員を支払うべし、被控訴人は控訴人に対し原判決添付物件目録記載の物件につき、控訴人を債権者、被控訴人を債務者、債権額金八〇万円、弁済期昭和二四年二月一二日、利息年一割(但し昭和二四年二月一二日以降)とする抵当権設定登記手続をなすべし、反訴の訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、

控訴人において、被控訴会社に金三〇万円を貸与した日時を昭和二四年二月五日と訂正する。控訴人の被控訴会社に対する債権は合計金八〇万円であるが、仮りに多少の内入弁済があつたとしても、本件仮登記当時少くとも六〇万円の債権が残存していたものである。右債権は被控訴会社にとり知れたる債権に該当するから、届出を要せざるものである。

被控訴会社と訴外藪内機械工業株式会社とは、形式上別会社であるが、その実は異名同心、第二会社と第一会社、子会社と親会社以上の関係があり、これを人事の面からみると、両者は共に藪内家一族の首長たる藪内正次の個人的独裁の下にあつて、同人は登記簿上、代表取締役たるときも、然らざるときもあつたが、終始支配者としての実権を握り、その重役はいずれも藪内正次の親族またはその手足たる人々によつて占められていたのである。これを経理の面からみても、本件貸金八〇万円は控訴人から被控訴会社に貸与せられたものであるのに、一応訴外会社の会計に入れられ、甲第二号証には元来被控訴会社の債務たるものを訴外会社の債務として記載せられ、また両会社は共に日本勧業銀行に対し金二〇〇万円の連帯債務を負担しているのみならず(乙第一三号証)、被控訴人の主張するところによるも、被控訴会社が控訴人から金二〇〇万円を借受けた場合には、その内金六〇万円を訴外会社が控訴人に負担する金六〇万円の債務の弁済に充当する予定であつたのである。更に会社存在の場所からみても、両者は共にその本店を大阪府豊能郡庄内町大字洲到止一六〇番地に置き、その工場も同一場所に共存していたのである乙(第一、二号証参照)。そして本件貸借当時、特に昭和二四年春以来、親会社たる訴外会社の衰勢急であつて、その影響は子会社たる被控訴会社の金融関係にも及び、互いにやり繰りを重ねて、その会計は相錯綜し、遂に訴外会社は昭和二五年四月二一日破産宣告を受け、また被控訴会社は同年七月一九日解散し、同年一〇月二四日特別清算の決定があつたのである。

本件において貸借その他の衝に当つた者は控訴人側においては訴外国弘金輔、被控訴会社側においては訴外上田勇である。原審は上田をもつて訴外会社のみの代理人であつた旨認定しているけれども、同人は被控訴会社の中心人物である藪内正次及びその実弟亀田定雄の妹婿であつて、被控訴会社の取締役でもあつたのであるが、集中排除法のため形式上取締役を辞任したのに過ぎず、実際は辞任後も両者の経理事務を担当し、首長藪内正次の指揮下にあつて、被控訴会社の代理人として本件貸借交渉の総てに関係し、被控訴会社のため奔走したのであると陳述し、

被控訴人において、上田勇が被控訴会社の代理人であつた事実は否認する。同人は昭和二二年一〇月九日被控訴会社の取締役を辞任し、爾後専ら訴外会社の監査役兼経理担当者として行動し、本件貸借当時においても、被控訴会社とは何等関係がなかつたものである。このことは上田が自ら作成した甲第二号証に本件債務が訴外会社の債務として記載されていることによつても明白であると陳述し、

証拠として控訴人は乙第一一号証の一、二、同第一二号証の一ないし一二、同第一三号証、同第一四号証の一、二、同第一五号証を提出し、当審における証人上田勇(第一、二回)、同国弘金輔、同川喜多耕太郎、同野多鶴子の証言及び控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人は当審における証人藪内正次、同伊藤猛の証言及び被控訴会社代表者本人尋問の結果を援用し、乙第一二号証の一ないし一二は不知、同第一二号証の一、二及び同第一三号証以下の乙号各証は成立を認め、同第一四号証の一、二及び同第一五号証を利益に援用すると述べた外、原判決摘示事実と同一であるから、これを引用する。

理由

原判決添付物件目録記載の建物について、被控訴会社名義の所有権保存登記及び被控訴人主張の如き仮登記の存することは当事者間に争がない。

被控訴人は、本件当事者間に右仮登記の登記原因たる売買予約は存在せず、被控訴会社は控訴人に右の如き登記をなすべき権利を与えたことがないと主張するけれども、成立に争のない乙第一、二号証、同第一一号証の一、二、同第一四号証の二、原審証人国弘金輔の証言(第二回)により成立を認め得る乙第三号証の三及び四、後記認定に牴触する部分を除き、原、当審証人上田勇(各第一、二回)、同国弘金輔(原審は第一ないし三回)の各証言、当審における控訴人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、訴外藪内機械工業株式会社と被控訴会社は親会社と子会社の関係にあり、何れも訴外藪内正次の財産によつて設立せられ、昭和二四年四月一五日被控訴会社の代表取締役を辞任するまで、藪内正次が両会社の代表取締役としてこれを主宰する外、両会社の役員は藪内一族及び縁故者等をもつて占らめれていたこと、訴外上田勇は藪内正次及び同人が代表取締役辞任後、被控訴会社の代表取締役となつた訴外亀田定雄の妹婿であつて、訴外会社の監査役兼会計課長及び被控訴会社の取締役の地位にあり、主として両会社の経理を担当していたが過度経済力集中排除法施行せられるや、昭和二二年一〇月九日、形式上被控訴会社の取締役を辞任したが、事実上はその後も引続き両会社の経理を担当していたこと、被控訴会社は昭和二一年秋本件建物を新築し被控訴会社の神戸支店として開業するに至つたが、その際、上田は被控訴会社の代表取締役であつた藪内正次と共に訴外国弘金輔方に開業の挨拶に赴き、爾来国弘は上田をもつて被控訴会社の者として遇して来たこと、上田は被控訴会社を代理して控訴人の代理人たる国弘から昭和二四年二月五日金三〇万円、同月九日金五〇万円を何れも、弁済期は二ケ月後、利息は月一割と約定して借受け、右借受金合計金八〇万円は一部弁済の結果、同年五月末頃には合計金六〇万円となつていたところ、その頃上田は右債務の弁済を確保するため、被控訴会社を代理して、控訴人の代理人たる国弘に対し、譲渡担保として本件建物の所有権を控訴人に移転する旨の約定をなし、右約定に基き右建物について被控訴会社名義の所有権保存登記手続をなした上、所有権移転登記手続をなすに必要な書類を国弘に交付し、国弘は同年六月一四日控訴人のため右建物について売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記手続をなしたことが認められ、前記各証言及び本人尋問の結果中、右認定に反する部分及び原、当審における証人伊藤猛、同藪内正次の証言(各原審は第一、二回共)及び被控訴会社代表者本人尋問の結果は採用し難く、前記上田証人の証言により成立を認め得る甲第二号証には前記六〇万円の債務が訴外会社の国弘に対する債務として記載され、また成立に争のない乙第一四号証の二及び前記上田証人の証言によつて成立を認め得る乙第三号証の四によると前記貸金はいずれも国弘振出の小切手によつてなされ、昭和二四年二月五日振出の金額三〇万円の小切手は訴外会社取締役野村重信が支払を受けたことが認められるけれども、訴外会社と被控訴会社との関係が前記認定の如くであり、この事実に前記上田証人の証言及び弁論の全趣旨を綜合すると、訴外会社と被控訴会社との経理は時に混乱して截然と区別せられず、その記帳も常に必ずしも正確ではなく、前記小切手は訴外会社から被控訴会社に融通された金員の弁済として被控訴会社から訴外会社に交付されたため、訴外会社において支払を受け、訴外会社の帳簿、従つてまた甲第二号証に訴外会社の国弘に対する債務として誤つて記載されたものであることが認められるから、右甲第二号証及び乙第一四号証の二は前記認定の妨げとなるものではない。

被控訴人は、訴外会社は国弘に対し金八〇万円の貸金元利金債務を負担していたところ、昭和二四年五月末頃、控訴人の代理人たる国弘から被控訴会社に対し、上田を介して金二〇〇万円を貸与する旨の申入があり、その条件として、当時未登記であつた本件建物について先づ被控訴会社名義の保存登記をなした上、金二〇〇万円の債務について控訴人のため抵当権設定登記をすること、右抵当権設定登記に必要な関係書類は予め整備してこれを控訴人に交付すること、右金二〇〇万円の内金八〇万円をもつて前記訴外会社の国弘に対する債務を弁済すること等を要求したので、被控訴会社は本件建物について所有権保存登記をなした上、昭和二四年六月一三日前記二〇〇万円の消費貸借の成立を条件として控訴人の代理人国弘に対し登記に必要な関係書類を交付した。然るに同年七月末頃になつて、国弘は被控訴会社に対し、控訴人は金一五〇万円ならば貸与すると云つていると通知し、最初の申入と異つて来たので、被控訴会社は右消費貸借の交渉の打切り、前記登記関係書類等の返還を求めたが、国弘はこれに応じなかつたものであると主張するけれども、この点に関する原、当審における証人伊藤猛、同藪内正次の証言(各原審は第一、二回)、被控訴会社代表者本人尋問の結果は原、当審証人上田勇(原、当審各一、二回)、同国弘金輔(原審第一及び第三回)の各証言と対比すると直ちに採用し難く、他に被控訴人主張の登記関係書類が金二〇〇万円の消費貸借成立を条件として国弘に交付されたものであることを認むべき確証がない。

次ぎに前記貸金合計金八〇万円の弁済期は各貸付の日より二ケ月後と約定されており、被控訴会社が本件建物を売渡担保に供した当時、右貸金元金は一部弁済の結果、合計金六〇万円となつていたことは前記認定のとおりであるけれども、前記上田証人の証言に弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人の代理人たる国弘は被控訴会社から譲渡担保として本件建物の所有権の移転を受けた際、被担保債権たる六〇万円の貸金残債権の弁済を特に期限を定めることなく猶予し、その後被控訴会社は右貸金残債務の支払をしていないことが認められる。

すると前記譲渡担保契約の結果、本件建物の所有権は控訴人に移転し、被控訴会社はこれを有せざるに至つたものであるから、被控訴人は控訴人に対し右建物につきなされた仮登記の抹消登記手続を求むべき権利なく、却つて控訴人に対し本件建物の所有権移転登記手続をなすべき義務があるものである。

被控訴人は、被控訴会社は昭和二五年七月一九日株主総会の決議により解散し、同年一〇月二四日大阪地方裁判所において特別清算開始決定があり、現に特別清算中であるところ、商法の規定に基き昭和二七年十一月一一日、同月一二日、同月一六日付の官報を以て三回に亘り、会社の解散したこと、会社債権者は公告の日から二ケ月以内に債権の届出をなすべきこと並びにその期間内に届出なきときは清算から除外せらるべき旨の公告をなした。そして控訴人が主張する貸金債権は被控訴会社の否認するところであるから、被控訴会社にとつては、控訴人は商法第四二二条第二項にいわゆる「知れたる債権者」に該当せず、右清算においては知れざる債権者として取扱わるべきものである。よつて控訴人は右期間内に本訴債権の届出をしなければならないのにも拘らず、何等の届出をしていないから、控訴人の右債権は商法の規定により清算から除外されていると主張し、成立に争のない甲第三、四号証、同第五号証の一ないし三、原審における被控訴会社代表者本人尋問の結果を綜合すると、被控訴人主張の被控訴会社の解散、特別清算開始及び公告の事実が認められるけれども、本件記録に徴すると、控訴人は昭和二六年一〇月二七日の原審口頭弁論期日において、被控訴人の本訴請求に対する答弁として、控訴人は被控訴人に対し昭和二四年二月五日及び同月一一日に各金三〇万円を弁済期を一ケ月後、利息を月一割と定めて貸与したところ、弁済期を経過するも元利金の支払がないので、同年六月、従来の債務を金八〇万円と決算し、その支払確保のため双方合意の上本件家屋について仮登記を完了した旨の事実を陳述したことが明らかであつて、その貸付の日時及び金額等についてはその後多少訂正するところがあつたけれども、本件建物について仮登記をなす当時控訴人が被控訴会社に対し合計金八〇万円の貸金債権を有していたことは、控訴人の終始主張するところであつて、控訴人は被控訴人主張の催告前、既に被控訴会社に対し、本訴債権を有することを主張していたことに帰するから、控訴人は被控訴会社の催告に応じて重ねて債権の届出をなすの要なきものというべく、被控訴人はその主張の催告期間内に控訴人より本訴債権の届出なきことを理由として、清算より除外するを得ないものと解すべきである。

すると被控訴人の本訴請求を認容し、控訴人の反訴請求を排斥した原判決は失当であることとなるから、これを取消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、控訴人の反訴請求を認容すべきものとし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩口守夫 安部覚 藤原啓一郎)

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